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ポケモン+ノブナガの野望→ブショー五十音順

ブショー五十音順

※モデル武将は管理人の独断ですので、ご了承ください。

あ行
名前 タイプ ブショーパワー ペストリンク モデル武将 人物伝
アキザネ かたいまもり 58 40 61 フワンテ 壱萬田鑑実 豊後国大友氏の家臣。大友宗麟に臣従し、耳川の戦い(1578年)では殿の役目をこなした。一族諸将が大友氏の元を離れていくなか、最後まで宗麟の側近として武功を挙げた。
アサ 毒・霊 いやしのうた 57 68 50 フワンテ
アサヒ 地・炎 きぶんそうかい 34 47 70 モグリュー 朝日姫 豊臣秀吉の妹で、政略結婚で家康へ嫁ぐと、その後は駿河御前と呼ばれた。母大政所を見舞う理由で上洛し聚楽第に入り、そこで没した。
アヤゴゼン 氷・霊 いやしのうた
ほうようりょく
39
49
71
81
75
86

ユキワラシ 仙桃院(綾) 上杉謙信の異父姉で、上杉景勝の実母。直江兼続を景勝近習に推薦した。「アヤゴゼン」の名称は、「戦国無双」シリーズのもので、史実では「綾」とだけ伝わる。
イエヤス 鋼・岩 かたいけっそく
おれないこころ
80
88
84
94
87
97

ボスゴドラ
レジスチル
徳川家康 江戸幕府の開祖。桶狭間の戦い(1560年)後に三河で独立し、織田信長、豊臣秀吉に臣従した。秀吉死後、関ヶ原の戦い(1600年)で石田光成を破って天下を統一した。
イサ きあい 80 43 65 ワンリキー 三好伊佐入道 真田十勇士の1人で、三好政勝がモデルとされる。『真田三代記』では出羽出身、立川文庫では三好氏を祖にする破戒僧という設定になっている。
イスケ ぜんそくりょく 72 68 63 メグロコ 二曲輪猪助 風魔忍者。小田原北条氏に仕え、川越城攻防戦に活躍した。随一の韋駄天とされ、古河公方の忍者である太田犬之助と早足勝負を行い勝利した。
イセ めぢから 66 52 61 ゴチム 伊勢姫 上野国千葉采女の娘で、上杉謙信の傘下に加わるときに謙信側に人質として出された。謙信には大いに気に入られた。確認できる史料はなく、後世の創作ともいわれる。
イッテツ 鋼・霊 げきれい 70 72 70 ヨマワル 稲葉一鉄 美濃三人衆の1人で、道三死後は織田信長に臣従した。姉川の戦い(1570年)の際、徳川家康から直接指名を受けて奮戦した。「頑固一徹」の語源となったとされ、文字通りの人物だった。
イナヒメ 水・鋼 ねらいうち
やまとなでしこ
78
88
56
63
68
79

ポッタイシ
エンペルト
小松姫(稲姫) 本多忠勝の娘で、真田信之の正室。関ヶ原の戦いで、舅の昌幸・信繁父子が追放された後も、食料を送るなど気を配り、真田家の人望も厚かったとされる。「稲姫」は幼名。
イロハ とぎすます 58 59 50 エモンガ 五郎八姫(いろはひめ) 伊達政宗の長女で、徳川家に嫁いだ。政宗が「五郎八が男子であれば」と嘆くほど聡明で、仙台藩主となった弟の伊達忠宗からも頼りにされていた。
ウジクニ かたいけっそく 77 62 73 アノプス 北条氏邦 小田原北条氏を隆盛に導いた、北条兄弟の1人。武勇に優れ、人望も厚かった。豊臣秀吉の小田原遠征の際には、籠城戦に異を唱えて野戦を主張。拠城に戻って前田利家と戦うが敗北した。
ウジサト 草・無 やまいおとし 73 81 82 ツタージャ 蒲生氏郷 織田信長に才能を見いだされ、数々の戦争に第一線で活躍し武功を挙げた。信長死後は豊臣秀吉に仕え、会津92万石の大大名となる。文武両道で、利休七哲の筆頭でもある。
ウジザネ おまけじょうず 62 クヌギダマ 今川氏真 戦国大名今川家の最後の当主。武勇に優れ、風流を愛し、楽市など内政にも尽力したが、家臣からの人望は薄かった。一般的には暗愚な武将として描かれることが多い。
ウジチカ かいてきおんど 73 89 71 クルミル 今川氏親 戦国時代初期、今川家を戦国大名に押し上げた人物。叔父北条早雲の協力を得て遠江を平定すると、甲斐武田氏とも戦闘を繰り返した。早雲と同じく、下剋上の第一人者だった。
ウジテル おおごえ 74 70 78 タテトプス 北条氏照 北条兄弟三男で、武勇と外交手腕に秀でていた。滝山城の戦い(1568年)では、武田勝頼と矛を合わせたという伝説が残っている。秀吉の小田原遠征の際、主戦派とされて切腹させられた。
ウジナオ よくばり 42 35 79 アノプス 北条氏直 小田原北条氏最後の当主。徳川家康の娘督姫を正室に迎え、家康とは同盟関係にあった。小田原合戦の際には、豊臣秀吉との講和に奔走するが実を結ばずに、小田原北条氏は滅亡した。
ウジヒロ よくばり 18 60 55 クルミル 関口氏広 今川氏の有力家臣で、「親永」の名のほうが著名。徳川家康の正室・築山殿(瀬名)の父親。家康が三河に独立したとき、家康との関係から離反を疑われて切腹。
ウジマサ きあい 63 78 79 アノプス 北条氏政 小田原北条氏の第四代当主で、北条氏最大版図を築いた勇将。上杉謙信、武田信玄らの猛攻にも耐えた堅城小田原城を過信し、外交の失策も重なって豊臣秀吉によって滅ぼされる。
ウジヤス かたいけっそく
だいこくばしら
80
90
78
94
84
94

ガントル
ギガイアス
北条氏康 小田原北条氏を隆盛に導いた猛将。内政にも手腕を発揮しし、関東に一大王国を築く。信玄や謙信とも互角に戦い、相模の獅子と呼ばれて怖れられた。
ウメ ちょうやく 32 50 50 モグリュー 阿梅姫 真田幸村(信繁)の娘。幸村が大坂の陣(1615年)で反家康に回ったとき、敵方の伊達政宗重臣・片倉重長に預けられた。阿梅が弔われると伝えられる墓は、虫歯に効くとされている。
ウラクサイ 草・竜 めぢから 71 チュリネ 織田有楽斎
(長益)
信長の実弟で、信長の東国支配に助力した。本能寺の変後は秀吉、家康の傘下に入った。関ヶ原の戦いでは東軍に回り、大阪の陣では両者を講和させるために奔走した。利休七哲の1人。
エケイ はつらつ 80 68 マスキッパ 安国寺恵瓊 毛利元就に仕えた外交僧。本能寺の変後、秀吉に取りいって信任を得ると、僧のまま大名になった。関ヶ原の戦いでは西軍についたが、吉川広家の裏切りにあい参戦できないまま敗走した。
オイチ 無・竜 いやしのうた
いやしのひかり
48
54
73
83
90
98

プリン
プクリン
お市の方 織田信長の実妹で、浅井長政に嫁ぐ。信長死後は柴田勝家に嫁いだ。絶世の美女だったといわれ、後世の創作物にも色濃く反映されている。茶々、初、江を産み、織田家の血筋は絶えなかった。
オクニ 虫・炎 はつらつ
かぶきおどり
65
75
64
73
79
88

メラルバ
ウルガモス
出雲阿国 歌舞伎の創始者といわれる、戦国時代の女性芸能者。男装して舞う阿国の舞は「ややこ踊り」とも呼ばれて人気を博すが、幕府により女性演舞は禁止された。
オツウ いやしのうた 67 51 50 フワンテ 小野お通 浄瑠璃の作者とされてきたが、現代では誤伝であるのが通説。ただし、当代きっての才女だったのはたしかだったようで、お通の書は「お通流」といわれ賞賛された。
オミ 毒・霊 きぶんそうかい 20 60 62 スピアー 小見の方 斎藤道三の正室で、明智光秀の叔母とも伝わる。道三は深芳野と婚姻していたが、深芳野が敵方の土岐氏の愛妾だったことから、後から室に入った小見の方が正室に収まった。
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か行
名前 タイプ ブショーパワー ペストリンク モデル武将 人物伝
カイ おおごえ 79 81 43 ズルッグ 下山甲斐 伊賀忍者の1人。伊賀の団結力が衰えてきたことから仲間を裏切り、織田信雄に伊賀侵攻を進言して、天正伊賀の乱(1579年)を引き起こした。
カイヒメ 炎・岩 きしゅう
おてんばひめ
73
83
62
72
70
80

ダルマッカ
ヒヒダルマ
甲斐姫 石田三成軍と対峙した忍城攻防戦(1590年)では、自ら甲冑を身にまとって出陣し、三成軍の侵攻をくいとどめた。その後も、謀叛を起こした家臣を討伐するなど、戦国きっての女傑で知られる。
カゲイエ 岩・超 こんしん 90 12 59 ヨーギラス 柿崎景家 上杉謙信が、長尾姓の頃からの旧臣にして重臣。武勇に秀で、上杉軍の戦いでは常に先鋒を務めた。晩年になって、信長との内通を疑われて死罪に処されている。
カゲカツ とぎすます 82 71 64 エルレイド 上杉景勝 上杉謙信の養子となり、御館の乱で上杉景虎を退けて上杉家の家督を継いだ。豊臣政権では五大老となり、関ヶ原の戦いでは西軍に与したが、大坂の陣では家康方で出兵している。
カゲツナ 竜・飛 かたいまもり 70 90 72 ミニリュウ 片倉景綱 伊達政宗が幼少のころから近習として使え、伊達軍の主要な戦いにはほぼ参戦した。伊達家中では「智の片倉」と呼ばれ信望厚く、人取橋の戦いでは、殿を務めて政宗の窮地を救った。
カシンコジ めぢから 42 69 53 スコルピ 果心居士 室町時代末期に現れた幻術師。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らの前で幻術を披露したとされるが、あまりにうさんくさいため実在を疑問視されている。別名を七宝行者。
カズトヨ しんこきゅう 68 61 63 ポカブ 山内一豊 織田信長、豊臣秀吉に仕え、織田軍、秀吉軍の戦いに従軍し、秀吉の死後は徳川家康に仕えた。関ヶ原の戦いの軍功から土佐一国の主となり、旧長宗我部一派を一掃して土佐を平定した。
カズマサ よくばり 51 78 72 ポカブ 石川数正 徳川家康が人質時代からの旧臣。軍事、外交両面で手腕を発揮したが、1585年に突然として秀吉のもとへ出奔した。理由は謎だが、家康が軍制改革をするほどの影響力があった。
カズマス 水・竜 とぎすます 79 80 65 キバゴ 滝川一益 織田信長四天王の1人で、数多くの武功を挙げて信長の関東支配に尽力した。信長の死後、一時秀吉と不和になったが、秀吉の関東支配に刈りだされる。忍者の出自ともいわれる。
カツ きしゅう 53 48 72 ココドラ 梶(英勝院) 太田道灌を祖とする出自ともいわれ、その聡明さから家康に寵愛された。関ヶ原の戦いでは男装して従軍し、勝利を祝って「勝」に改名したと伝わる。
カツヨリ 岩・地 こんしん 82 56 79 ヨーギラス 武田勝頼 父信玄の後を継いだ、信玄にも負けない勇将。父の落とせなかった高天神城を落として遠江を平定したが、織田信長・徳川家康連合軍との長篠の戦い(1575年)に敗れ、武田家は滅亡した。
カネツグ げきれい
あいとせいぎ
65
75
88
97
79
89

ユンゲラー
フーディン
直江兼続 上杉家家老で、知勇兼備の優将。関ヶ原の戦いでは、家康に対して「直江状」を提出し挑発した。「愛」の兜で有名だが、「愛」は愛染明王への信仰を表している。
カネモリ かたいけっそく 30 55 57 グレッグル 肝付兼盛 島津氏の家臣で、後に家老を務めた。岩剣城攻め(1554年)、三ツ山城攻め(1559年)などに参戦し、城攻めのスペシャリストとして名を馳せた。
カマノスケ 虫・炎 ちょうやく 84 57 79 ストライク 由利鎌之介 真田十勇士の1人で、『真田三代記』にも同名で登場することから、実在したともいわれる。鎖鎌の名手とされ、もともとは真田氏と敵対していたが、真田幸村に捕縛されてからは忠誠を誓った。
カメ 虫・鋼 ねらいうち 62 73 55 クヌギダマ 亀姫 徳川家康の長女で、徳川家重臣の奥平信昌に嫁いだ。孫の忠昌が転封されたことを、本多正信・正純父子の陰謀だと思いこみ、宇都宮城釣天井事件を引き起こした。
ガラシャ 超・水 おまけじょうず
ふしぎなはどう
42
52
63
73
78
87

ゴチミル
ゴチルゼル
細川ガラシャ 明智光秀の娘で、光秀の盟友・細川忠興に嫁いだ。関ヶ原の戦いの際、石田三成が東軍についた細川忠興の妻として人質にしようとするが、ガラシャは家臣に胸を貫かせて壮絶な最期を遂げた。
カンベエ 霊・炎 はくりょく
ふうじんのこえ
60
70
90
98
62
70

ランプラー
シャンデラ
黒田勘兵衛 信長、秀吉、家康に仕え、いずれの主君の戦いにも数々の軍功を挙げ、知勇兼備の猛将と恐れられた。野心家として描かれることも多いが、主君を裏切ったことは一度もない。
キツノ いやしのうた 54 72 79 ミニリュウ 生駒吉乃 織田信長の側室で、信雄の実母。濃姫に子ができなかったことから、正室のような待遇を受けていたともいわれる。29歳で早世したが、信長からは660石を与えられ、秀吉や家康も追認している。
キヨ かいてきおんど 15 13 78 シママ 大友清姫 大友宗麟の次女だと思われる。仙石久秀が手に入れた「清姫の鐘」ではないと思う。ちなみに、「清姫の鐘」は安珍清姫伝説のいわくつき。
キヨマサ 竜・地 ゆうじょう
かたいしんねん
82
92
64
74
67
77

オノンド
オノノクス
加藤清正 豊臣秀吉の寵臣で、賤ヶ岳七本槍の1人。秀吉の戦のほとんどに参戦し、数々の武功を挙げた。三成憎しで関ヶ原の戦いでは東軍に与したが、秀吉への恩義は忘れなかった。
ギンチヨ そっこう
らいじんのこえ
74
84
68
78
72
82

ルクシオ
レントラー
立花誾千代 立花道雪の娘で、女だてらに武勇に優れ、女性が家督を継いだ稀有なケース。立花宗茂は婿養子として誾千代の夫となった、これまたレアケース。
クノイチ 悪・氷 はつらつ
こあくま
60
70
63
73
70
80

ニューラ
マニューラ
くノ一 女性忍者の総称。「戦国無双」シリーズでは、オリジナルキャラクターとして描かれ、なんとも活発な少女の忍者として登場する。ちなみに、「くのいち」や「くの一」は誤表記。
ケイ 炎・地 きあい 65 48 69 モグリュー 右京殿 お京とも呼ばれた、真田信之の側室。信之には正室・小松殿(稲姫)がいたが、右京殿も同じくらいに寵愛されたという。江戸時代になって、松代藩の相続争いを収めたといわれる。
ケイジ 岩・闘 こんしん
おおかぶき
92
100
40
50
73
86

トリデプス
テラキオン
前田慶次(利益) 前田利家の甥。はじめ織田信長に仕え、信長死後は秀吉に従った。小田原征伐後、前田家を出奔し上杉景勝に仕官する。後世の創作により天下無双の歌舞伎者と認識されるのが一般的。
ゲンアン かいてきおんど 83 80 イワーク 北条幻庵 北条早雲の三男。小田原北条氏の重鎮で、武勇に優れる猛将だった。鐙、尺八作りの名人でもあり、文化の知識も多彩。礼儀作法にも厳しく、マルチな才能を発揮した異才の武将。
ケンシン 超・闘 そっこう
ぐんしん
90
99
66
76
81
91

エルレイド
ミュウツー
上杉謙信 越後の戦国大名で、関東管領職にも就任。非常に義理堅く、援軍の要請があればそれにほぼ応じている。武田信玄との川中島の戦いも、信濃守護からの援軍要請による。
ゲンバ 飛・悪 ぜんそくりょく 79 75 48 ズルッグ 唐沢玄蕃 武田家に仕えた忍者。「飛び六法」と称されるほどに身軽で、上野国尻高城攻防戦(1574年)では体術を駆使して場内に侵入し、焼き討ちに成功した。
コタロウ きしゅう
こんとんのかぜ
82
92
78
89
52
62

ゾロア
ゾロアーク
風魔小太郎 小田原北条氏に仕えた、風魔忍者の頭領の呼称。氏政・氏直父子に仕えた五代目は、「身の丈二寸(216cm)、眼口ひろく逆け黒ひげ、牙四つ外に現れ」という異形の姿だったと伝えられる。
ゴウ 水・無 かたいまもり 33 55 75 ポッチャマ 江(崇源院) 浅井長政とお市の方の三女。徳川秀忠に嫁ぎ、三代将軍・家光を産んだ。歴史的意義の高い人物でありながら、史料が少ない稀有な存在。彼女のイメージは、後世の創作物によるところが多い。
ゴトク ねらいうち 48 61 72 モノズ 五徳 織田信長の長女。母は吉乃とされる。徳川家康の嫡男・信康に嫁ぐ。信康が武田信玄との内通を疑われて切腹後は、各地を転々とし、関ヶ原の戦い後に所領を与えられた。
コロク 闘・炎 こんしん 75 74 69 ドッコラー 蜂須賀小六(正勝) 豊臣秀吉の古参の家臣。四国攻め、山崎の戦い、小牧・長久手の戦いなど、秀吉の主たる戦に従軍し功を挙げた。野武士のイメージが強いが、調略に長けた聡明な人物だった。
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さ行
名前 タイプ ブショーパワー ペストリンク モデル武将 人物伝
サイゾウ 霊・炎 やまいおとし 80 76 68 ゴース 霧隠才蔵 真田十勇士の1人。『真田三代記』に書かれている霧隠鹿右衛門をモデルにした、架空の忍者。伊賀忍者の頭領・百地三太夫の弟子という設定になっている。
サスケ 飛・炎 そっこう 81 72 70 ヒコザル 猿飛佐助 真田十勇士の1人。伊賀忍者・上月佐助、三雲佐助賢春がモデルとして挙げられているが、ほかの十勇士のように『真田三代記』には確認できない。
サダトシ めぢから 48 80 68 モンメン 福原貞俊 毛利氏の家臣で筆頭家老。早くから毛利元就に仕え、厳島の戦い(1555年)では長門且山城を落城させた。元就死後も、輝元をよく補佐し、軍事、政治両面に手腕を発揮した。
サダミツ きぶんそうかい 55 92 74 ムンナ 宇佐美定満 上杉氏の家臣で、上杉四天王の1人。後世に越後十七将に加えられる。謙信を快く思っていない長尾政景を粛正するために、政景を連れだって野尻湖に沈んだといわれる。
サネヨリ やまいおとし 37 77 61 リーシャン 本庄実乃 上杉氏の家臣で、謙信が幼少のころから教育にあたった。謙信の師でもあり、側近として大きな権力を与えられるなど、謙信からの信任は厚かった。謙信の死の際に殉死。
サンダユウ そっこう 87 89 34 ズバット 百地三太夫 伊賀忍者の頭領。伊賀の結束を怖れた織田信長による天正伊賀の乱(1595年)で敗北し、一族とともに戦死した。異説では、石川五右衛門の師ともされる。
シゲザネ 虫・飛 そっこう 85 53 66 ストライク 伊達成実 伊達政宗の古参の家臣で、伊達三傑の1人。一時期伊達家を出奔していたが帰参し、政宗を喜ばせた。政宗からの信任は厚く、手紙のやり取りも多く見られる。
シゲモト ゆうじょう 60 36 64 クマシュン 万見重元 織田信長の家臣で、荒木村重が謀叛したときに、明智光秀とともに有岡城を攻めた。氷タイプなので光秀ゆかりの武将だと考えると、光秀家臣の「溝尾茂朝(しげとも)」の誤表記かもしれない。
シズカ げきれい 62 41 62 サイホーン 北条静 『信長の野望』シリーズに登場する女性キャラクターで、誰をモデルにしているのか不明。
ジュウゾウ ゆうじょう 81 80 62 バオップ 筧十蔵 真田十勇士の1人。『真田三代記』に登場する筧十兵衛がモデルとされる。火縄銃の使い手で、針を武器に使うこともあったという異色の人物。大坂夏の陣(1615年)で活躍した。
ジュウベエ 超・鋼 はくりょく 91 32 50 エルレイド 柳生三厳 柳生宗矩の三男で、十兵衛の呼び名は通称。20歳を前に新陰流の免許皆伝を得るなど、剣に抜群の才能を見せた。江戸時代の生まれなので、本ゲームとは若干時代が異なる。
ジョウウン げきれい 90 70 66 メリープ 高橋紹運 大友宗麟の家臣。島津氏の九州統一戦の前に立ちはだかり、岩屋城の戦い(1586年)に寡兵で奮戦して討ち死。島津氏はこの戦いで大打撃を受けて、九州統一を諦めることになった。
シンゲン 地・岩 げきれい
ふうりんかざん
82
92
96
100
86
96

ドサイドン
グラードン
武田信玄 甲斐国の戦国大名で、「甲斐の虎」と呼ばれ怖れられた猛将。上杉謙信とは終生のライバルだった。信長がもっとも怖れた男であり、家康は武田軍制を取り込むなど、影響力は大きかった。
ジンパチ 霊・炎 ぜんそくりょく 76 48 80 ムウマ 根津甚八 真田十勇士の1人。禰津(根津)小六がモデルとされる。水軍の指揮に長けていたといわれ、大坂夏の陣で真田幸村の影武者となって討ちとられた。『真田十勇士』では海賊あがりの設定。
セイカイ 闘・炎 ちょうやく 82 53 65 ドッコラー 三好清海入道 真田十勇士の1人。『真田三代記』に登場する三好政康がモデルとされる。88歳の高齢で、大坂夏の陣に豊臣方として参戦し、奮戦するも戦死したと伝わる。
セイクロウ ちょうやく 60 40 43 スコルピ 菊川清九郎 伊賀の忍者で、筒井順慶の家臣。天正伊賀の乱では織田信雄に従った筒井軍に従軍し、伊賀衆の夜襲を受けた順慶を窮地から救ったといわれている。
セキソウ しんこきゅう 38 88 80 バチュル 角隈石宗 大友義鑑、宗麟に仕え、軍略だけでなく卜占にも精通しており、軍師として従軍した。島津氏に戦いを挑もうとする宗麟を諌めたが聞き入れられず、自身も耳川の戦いで戦死。
セッサイ 氷・虫 きしゅう 50 92 77 メラルバ 太原雪斎 今川氏の重臣にして軍師。義元からの信任厚く、軍事、外交、内政すべてを取り仕切ってた。1555年に死去し、あと5年生きていれば桶狭間の戦いで義元が敗れることはなかったといわれる。
セナ めぢから 48 74 50 スピアー 瀬名(築山殿) 今川義元の姪で、徳川家康の正室。桶狭間の戦いの後、長い間幽閉生活を強いられた。許された後は、武田氏との密通を疑われて、松平信康とともに処刑された。
セン かたいけっそく 27 61 48 リーシャン お船の方 直江兼続の正室。兼続とは大変仲睦まじく、兼続が側室を持つことはなかった。兼続死後も、上杉景勝から3000石を与えられるなど、上杉家中でも人望は厚かった。
ソウウン きしゅう 69 93 85 ヨーギラス 北条早雲 戦国大名・小田原北条氏の祖。室町時代後期に伊豆を平定後、小田原城を奪取した。下剋上の典型といわれるが、じつは出自の身分は高い。ただ、戦国大名の嚆矢であることに変わりない。
ソウリン 悪・電 げきれい 69 78 83 ピチュー 大友宗麟 豊後国の戦国大名。海外貿易に熱心で、外交手腕にも長けていた。九州にキリシタン王国を築く夢にとり憑かれ、家臣の反対を押し切った耳川の戦いで大敗北を喫した。
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た行
名前 タイプ ブショーパワー ペストリンク モデル武将 人物伝
タカカゲ きあい 69 90 84 キモリ 小早川隆景 毛利元就の三男で、毛利家支配のために小早川家の家督を継いだ。水軍の指揮に手腕を発揮し、厳島の戦い、木津川口の戦い(1576年)などで実力をいかんなく発揮した。
タカタネ ぜんそくりょく 56 43 45 コリンク 原田隆種 大内義隆(周防国)の家臣。大寧寺の変(1551年)で義隆自害後は毛利元就に味方し、大友氏や陶氏を相手に奮戦を続けた。その後、家中は分裂し衰退した。
タカトラ 飛・炎 おまけじょうず 70 87 72 ヒトモシ 藤堂高虎 信長、秀吉、家康など7度も主君を変えた戦国武将。築城の名手で知られ、いずれの主君からも重宝された。家康からの信任はとくに厚く、両者の逸話がいくつも残されている。
タカノブ 闘・無 おおごえ 88 59 82 ゴンベ 龍造寺隆信 肥前国の戦国大名。大内義隆の死後に、北九州で急速に勢力を伸ばし、「肥前の熊」と呼ばれ怖れられた。離反した有馬晴信と島津氏の連合軍と戦った沖田畷の戦い(1584年)で戦死。
タカヒサ はくりょく 66 87 85 ドッコラー 島津貴久 薩摩国の戦国大名で、義久ら島津四兄弟の父。戦場で、鉄砲を初めて使用した戦国大名でもある。「島津の英主」と称えられ、その後の薩摩藩隆盛の礎となった。
タカヒロ 悪・超 よくばり 79 44 61 ケーシィ 北条高広 越後の戦国大名・長尾為景・晴景の家臣。無双の勇士と謳われ怖れられたが、謙信も扱いには苦労したほどの粗忽者で、御館の乱で反景勝にまわって没落した。
タカモト かたいけっそく 71 72 82 ツタージャ 毛利隆元 毛利元就の嫡男。軍事面に自信はなかったが、内政面で元就をよく補佐した。とくに財政面で力を発揮し、彼の死後、毛利氏の収入が4000石も減ったとされている。
タカヨリ 電・水 かたいまもり 49 80 62 ヒヤップ 吉田孝頼 長宗我部氏の家臣で、長宗我部国親の妹を正室に迎えた。智謀に優れ、国親の参謀役として活躍した。長宗我部軍の軍制の基本となる「一領具足」を考案した。
タケヨシ 水・草 めぢから 80 66 62 コイキング 村上武吉 村上水軍の当主で、厳島の戦いで毛利氏に加担したといわれる。その後は、毛利氏のもとで海戦に数々の武功を挙げた。「日本最大の海賊」ともいわれるが、連歌にも精通していた教養人。
タダオキ 超・氷 こんしん 76 72 78 ゴチム 細川忠興 室町幕府幕臣の子だが、時代の趨勢を見てとって信長に仕えた。明智光秀と懇意だったことから、本能寺の変後に光秀から誘われたが、これを拒否した。各方面に顔が広く、情報戦に長けていた。
タダカツ 鋼・竜 はくりょく
てんかむそう
92
100
68
77
81
89

メタグロス
ディアルガ
本多忠勝 徳川四天王の1人で、57度の戦に参戦して一度も傷を負わなかったという伝説を残す猛将。生涯を家康に捧げたが、幕府創設後は中枢から遠ざけられ、不遇であったとされる。
タダスミ 電・水 しんこきゅう 16 76 28 シママ 谷忠澄 長宗我部氏の家臣。もとは土佐神社の神主だったが、元親に請われて仕官する。秀吉の四国征伐の際、家中で1人だけ降伏を主張した。名前の読みは、正しくは「ただずみ」である。
タダツグ ゆうじょう 72 74 71 ココドラ 酒井忠次 徳川四天王の筆頭。家康が今川義元に人質に出されたときから従っている古参。長篠の戦いでは、「背に目を持つごとし」といわれる活躍を見せるなど、武勇に優れる。
タダツネ ぜんそくりょく 73 56 70 ワンリキー 島津忠恒 島津義弘の三男。豊臣秀吉の朝鮮出兵で活躍し、その武勇を認めれられた。関ヶ原の戦いの敗戦後、徳川家康との和睦交渉に尽力し、薩摩藩藩祖となった。
タダモト かたいまもり 78 56 60 グレッグル 新納忠元 薩摩国の戦国大名・島津氏の家臣。「鬼武蔵」の異名を持つ豪の者で、文化への造詣も深く人望も厚かった。忠元の死去の際には、殉死禁止令ながら2名が殉死したという。
タツコ めぢから 50 55 50 ポカブ 京極竜子 豊臣秀吉の側室で、浅井長政は叔父にあたる。醍醐の花見では3番目の輿を使うなど、秀吉から寵愛を受けた。秀吉の死後も豊臣家の一員として、大阪城にもたびたび訪れている。
ダンゾウ 飛・悪 ねらいうち 79 89 48 ミカルゲ 加藤段蔵 上杉謙信に仕えた忍者で、「飛び加藤」の名で有名。優れた技術を謙信に警戒され、後に武田信玄に仕えるが、同じように信玄にも警戒され、ついには暗殺されてしまった。
チカマサ おおごえ 87 21 63 ウパー 福留親政 四国の戦国大名・長宗我部氏の家臣。元親からの信任は厚く、元親の嫡男・信親の守役を任せられた。岡豊城攻防戦(1563年)では、「福留の荒切り」といわれる活躍を見せた。
チカヤス かたいけっそく 73 78 72 ミジュマル 香宗我部親泰 四国の戦国大名・長宗我部氏の家臣で、元親の実弟。元親の四国平定に多大な貢献をし、織田信長や徳川家康との交渉もすすめるなど外交手腕にも長けていた。
チャチャ きぶんそうかい 34 69 78 チラーミィ 浅井茶々(淀殿) 浅井長政とお市の方の娘で、豊臣秀吉の側室。秀吉から寵愛され、秀頼を産んだ。大坂の陣では、徳川家康に最後まで徹底抗戦し、大阪城落城の際に息子。秀頼とともに自害して果てた。
チヨ いやしのうた 30 67 67 ププリン 千代(見性院) 土佐藩藩祖・山内一豊の正室。本名は不明であるが、後世作品『功名が辻』での呼称が一般的になった。内助の功で、一豊の土佐平定を支えた賢女としても有名である。
チョウアン 無・鋼 おまけじょうず 62 71 ビッパ 大久保長安 武田信玄に仕えた後に徳川家康に仕え、江戸幕府勘定奉行にまで出世した。金山開発に才能を発揮し、武田家、徳川家の財政を潤した。死後に不正蓄財の嫌疑をかけられ、一族が処分された。
チヨメ 悪・地 ねらいうち 60 67 68 ミカルゲ 望月千代女 甲賀忍者のくノ一。武田信玄に見いだされ、「歩き巫女」(女スパイ)の養成を任された。忍者としての技術に優れており、各地に巫女を派遣して情報収集を行ったといわれる。
ツナシゲ 闘・岩 とぎすます 90 79 76 ダンゴロ 北条綱成 上小田原北条氏の家臣。北条家中随一の猛将といわれ、川越夜戦(1546年)や国府台合戦(1563年)で大活躍し、氏綱・氏康父子からの信任も厚かった。
ツナモト 氷・飛 きあい 66 69 60 オニゴーリ 鬼庭綱元 伊達市の家臣。葛西大崎一揆(1590年)で伊達政宗が黒幕であると疑われたときに、豊臣秀吉との折衝を任されたが、秀吉との良好な関係を政宗に警戒されて、政宗からは冷遇された。
ツネナガ ちょうやく 48 44 56 エモンガ 支倉常長 伊達市の家臣。豊臣秀吉の朝鮮出兵では、足軽・鉄砲組頭を任された。慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパに渡航し、貴族に列せられた。幕府の禁教令により、欧州との通商は実現できなかった。
ツネヒサ きぶんそうかい 52 95 90 ニャース 尼子経久 出雲国の戦国大名で、下剋上の典型として有名。謀略の天才といわれ、「謀聖」とも呼ばれる。家臣に褒められることをたいそう喜び、褒められた私物はなんでも与えてしまったという。
ツル やまいおとし 75 43 72 ムウマ 北条鶴 『信長の野望』シリーズで、北条鶴の名で登場する女性キャラクターだと思われる。北条氏政の娘で、安房国の戦国大名・里見氏との和睦の際に、里見義頼のもとに嫁いだ。
テルモト かたいまもり 41 26 82 チュリネ 毛利輝元 安芸国の戦国大名・毛利隆元の嫡男。尼子勝久や大友宗麟との戦いに勝利し、中国地方を平定した。豊臣政権では五大老となり、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将となる。
テンカイ 霊・鋼 やまいおとし 91 72 ムウマ 南光坊天海 徳川家康の側近で、「黒衣の宰相」と称された。家康から寵愛され、大坂の陣の発端となった方広寺鐘銘事件に関与した。出自が不明なことから、明智光秀の一族の残党という異説がある。
ドウサン 毒・霊 きしゅう 73 93 82 アーボ 斎藤道三 美濃国の戦国大名。大阪の油売りから成り上がったとされていたが、現在は父子二世代での美濃国奪取が通説となっている。「美濃の蝮」の異名をとり、武勇に優れていた。
ドウセツ とぎすます 85 86 76 コリンク 立花道雪 豊後国の戦国大名・大友氏の家臣。落雷を受けて半身不随になったときに、雷のなかにいた雷神を斬ったという伝説が残っており、その逸話から「雷神」とも呼ばれたという。
トキタカ 炎・闘 よくばり 56 65 61 ドッコラー 種子島時尭 薩摩国の戦国大名・島津氏の家臣。種子島に漂着した明船から鉄砲を買い取り、国内生産に成功した。島津貴久の大隈国攻め(1555年)に従軍し、活躍した。
トク おまけじょうず 44 68 50 ココドラ 督姫 徳川家康の次女で、小田原北条氏との和睦の際に氏直に嫁いだ。小田原征伐後に池田輝政に再嫁し、その際に北条家伝来の絵巻物を持参したといわれている。
トシミツ はくりょく 68 68 68 ニューラ 斎藤利光 明智光秀の家臣。光秀から寵愛され、筆頭家老として活躍した。本能寺の変の際には、光秀から計画を打ち明けられたときに反対したが、結局、首謀者として処刑された。
トモノブ おおごえ 74 76 68 サーナイト 斎藤朝信 越後国の戦国大名・上杉氏の家臣。川中島の戦いをはじめ、多くの戦に従軍して多大な武功を挙げた。「越後の鍾馗(しょうき)」と呼ばれ、その名を天下に轟かせた猛将。
トモノリ 鋼・竜 はくりょく 96 21 83 キバゴ 北畠具教 伊勢国司北畠家の第八代当主。塚原卜伝から一の太刀を伝授された剣豪。織田信長に攻められ戦死するが、その際には19人を斬り殺し、100人に手傷を負わせたという伝説が残る。
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な行
名前 タイプ ブショーパワー ペストリンク モデル武将 人物伝
ナオイエ きしゅう 70 95 79 モノズ 宇喜多直家 備前国の戦国大名。主君の浦上氏を播磨国に退け、備前国を手にした下剋上の大名で、謀略に長けていたといわれる。家臣からも怖れられたといわれる知将だった。
ナオシゲ かたいけっそく 84 84 81 モノズ 鍋島直茂 龍造寺隆信に仕えた、肥前佐賀藩の藩祖。大友氏、有馬氏、大村氏との戦いで数々の武功を挙げ、隆信死後は豊臣秀吉に近づき信任を得た。「龍造寺の仁王門」と称された文武両道の猛者。
ナオマサ 炎・鋼 はつらつ 87 72 68 ポカブ 井伊直政 徳川四天王の1人で、軍事・内政・外交いずれにも手腕を発揮した天才。直政が組織した「井伊の赤備え」は、屈指の精鋭部隊として全国に勇名を轟かせた。
ナカ 地・炎 かいてきおんど 62 54 60 モグリュー 仲(大政所) 豊臣秀吉の母。秀吉が徳川家康に上洛を促す際に、家康の元へ人質として赴いた。仲が本名で、秀吉が関白に就いてから、大政所と呼ばれるようになった。
ナガヒデ ゆうじょう 75 73 68 ミニリュウ 丹羽長秀 織田信長の家臣。美濃国における戦いで名を挙げ、信長の信任も厚かった。信長死後は秀吉の麾化に入ったが、織田家を冷遇する秀吉に怒り、自分の死に際して自身の内臓の一部を送りつけた。
ナガヤス きあい 68 61 63 ダルマッカ 前野長康 賤ヶ岳七本槍の1人。墨俣一夜城の築城に貢献した。小牧・長久手の戦い、四国攻めや小田原征伐など、秀吉の主たる戦にほぼ従軍して武功を挙げた勇将。
ナガヨシ 闘・竜 きあい 79 31 75 リオル 森長可 織田信長の家臣で、蘭丸の兄。「夜叉武蔵」と呼ばれる猛将で、命令違反や軍規違反も多かったが、信長からは注意されるだけにとどまり、信長の信任は誰よりも厚かったといわれる。
ナリマサ そっこう 79 33 66 フカマル 佐々成政 織田信長の家臣。賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家に味方し、小牧・長久手の戦いでは徳川家康に加担するなど、秀吉嫌いで有名。家康に再挙を促す「さらさら越え」はとくに有名。
ネネ 毒・飛 げきれい
ネネにんぽう
65
75
78
84
75
85

ゴルバット
クロバット
寧(北政所) 豊臣秀吉の正室。才色兼備の女性で、、豊臣家中で絶大な権力を持ち、人望も厚かった。淀殿と不仲だったとされてきたが、最近では互いに協調関係にあったというのが通説になってきている。
ノウヒメ 霊・竜 おまけじょうず
ましょうのキバ
48
54
74
84
90
97

ムウマ
ムウマージ
濃姫(帰蝶) 斎藤道三の娘で、織田信長の正室。信長に嫁いだ後は、歴史の表舞台にまったく名が出てこないので、詳細は不明。散見される「安土殿」が濃姫を指すのではないかともいわれる。
ノブチカ ねらいうち 79 66 70 コイキング 長宗我部信親 長宗我部元親の嫡男。幼少のころから聡明で、家中の人望も厚く期待を一身に背負っていた。豊臣秀吉の九州征伐に参戦し、戸次川の戦い(1586年)で22歳の若さで戦死した。
ノブツナ こんしん 95 42 70 ダンバル 上泉信綱 陰流、神道流、念流の剣術を学び、新陰流の創始者といわれる。剣術修行で諸国をまわり、多くの剣豪を打ち倒して「剣聖」と呼ばれるほどの大家である。
ノブナガ 竜・電 おおきなやぼう
はてなきやぼう
89
96
94
100
92
100

サザンドラ
ゼクロム
レックウザ
濃姫(帰蝶) 尾張国の戦国大名。桶狭間の戦いで今川義元を破り全国に名を轟かせ、「天下布武」を掲げて全国統一を目指す。統一目前に、重臣・明智光秀の謀叛にあい、本能寺の変で自害した。
ノブフサ しんこきゅう 80 50 70 イワーク 馬場信房 武田信虎の時代から武田氏に仕える家臣。40年間70回を超える戦に参戦し、長篠の戦いまで無傷で通した伝説が残っており、「不死身の馬場美濃」と呼ばれた。
ノリシゲ 電・水 そっこう 78 45 52 メリープ 福留儀重 四国の戦国大名・長宗我部氏の家臣。隼人ともいい、土佐の童謡に名を残すほど武勇に優れていたとされる。禁酒令を破った主君に諫言するなど、気骨のある人物だった。
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は行
名前 タイプ ブショーパワー ペストリンク モデル武将 人物伝
ハツ 水・無 かたいまもり 33 55 75 ププリン 浅井初(常高院) 浅井長政とお市の方の娘。賤ヶ岳の戦い後、秀吉の計らいで京極高次に嫁ぐ。大坂の陣の際には、豊臣家と徳川家の和議に奔走し、冬の陣ではいったん和議をとりまとめている。
ハツメ 鋼・炎 ぜんそくりょく 62 55 73 コマタナ 初芽局 徳川家康が、石田三成籠絡のために送り込んだくノ一とされる。だが、敵である石田三成に恋愛感情を抱いてしまい、家康を裏切ったといわれているが、フィクションの可能性大。
ハナ かいてきおんど 70 57 50 ムンナ 華姫(清円院) ドラマ『天地人』に登場した、華姫だと思われる。上杉景虎の正室で、御館の乱で景勝陣営に敗れて自害した。本名はわかっておらず、おそらく法名・華渓正春大禅定尼から華姫となった。
ハルタカ 地・無 こんしん 82 70 66 フカマル 陶晴賢 周防国の戦国大名・大内氏の家臣。大内家内で文治派が台頭すると立ち場を失い、大寧寺の変(1551年)で主君・義隆を滅ぼし下剋上に成功した。ちなみに、読みは「ハルカタ」の間違い。
ハルナガ ねらいうち 14 42 57 ダルマッカ 大野治長 豊臣秀吉の家臣。秀吉没後は秀頼に仕え、大坂の陣では消極的和平を主張して、主戦派の真田幸村らとはそりが合わなかった。関ヶ原の戦いでは東軍について参加している。
ハルユキ 飛・地 きしゅう 41 92 69 ワシボン 山本晴幸(勘助) 武田信玄の軍師で、軍略、卜占、天候などに精通し、信玄の戦を助けたといわれる。後世の創作物によるところが多く、実在はしたものの、どこまでの能力を有していたかはいまだに不明。
ハンゾウ 霊・毒 とぎすます
しのびのごくい
87
94
77
88
62
72

ゴースト
ゲンガー
服部正成 半蔵は服部半蔵家の当主が代々名乗った名。初代半蔵は忍者だったとされるが、それ以降は武士であり、徳川家康に仕えた二代目半蔵(正成)は、足軽を率いた槍の名手とされる。
ハンベエ 電・炎 おまけじょうず
のらりくらり
36
42
90
99
70
80

ピカチュウ
ライチュウ
竹中半兵衛(重治) 豊臣秀吉に仕えた軍師。もとは美濃国・斎藤氏の家臣だった。頭脳明晰で、秀吉の戦をたびたび助けたとされるが、後世の創作物によるイメージが先行しており、実態は不明。
ヒサヒデ きしゅう 62 92 65 モノズ 松永久秀 大和国の戦国大名。室町幕府第13代将軍・足利義輝を殺害し、畿内を支配した。信長上洛後は信長に仕えたが、1577年に反信長包囲網に加わり、信長に攻められ爆死で自害した。
ヒサアキ ちょうやく 71 69 60 ズルッグ 川上久朗 薩摩国・島津氏の家臣。若いころから知勇兼備で知られ、18歳の若さで島津義久から家老職に任命された逸材。相良氏との戦いで、義弘を守るため孤軍奮闘の末に深手を負い、死去した。
ヒデアキ 虫・炎 かたいまもり 23 23 23 フシデ 小早川秀秋 豊臣秀吉の養子だったが、秀吉に嫡子が生まれると小早川家に養子に出された。西軍で出陣した関ヶ原の戦いでは、途中で家康側に寝返り、東軍勝利の立役者となった。
ヒデタダ きぶんそうかい 18 73 75 コマタナ 徳川秀忠 徳川家康の三男で、江戸幕府2代将軍。天下分け目の関ヶ原の戦いでは、上田城の真田氏に進路を阻まれ参戦できず、父・家康の怒りを買った。
ヒデナガ はつらつ 68 78 77 メラルバ 豊臣秀長 豊臣秀吉の弟で、秀吉の主たる戦にはほぼ参戦し、数々の軍功を挙げた。四国攻めでは、秀吉に替わり総大将を務めて長宗我部氏を降した。内政面にも秀でていたといわれる。
ヒデミツ おおごえ 78 44 72 ラプラス 明智秀満 明智光秀の家臣で、光秀の娘を嫁にもらうなど光秀からの信任は厚かった。本能寺の変では、明智軍の先鋒を任された。琵琶湖の湖上を、馬で越えたという伝説が残っている。
ヒデヨシ 炎・闘 きしゅう
てんかのゆめ
66
76
65
88
78
88

モウカザル
ゴウカザル
豊臣秀吉 織田信長の家臣から立身出世し、山崎の戦い(1582年)で明智光秀を破り天下人となった。日本統一後は朝鮮へ出兵したが、その途上で病により没した。
ヒデヨリ きぶんそうかい 20 26 68 ヒコザル 豊臣秀頼 豊臣秀吉の子。幼少の頃に父を亡くしたため、秀吉の偉業を継ぐことができなかった。成長した秀頼に謁見した家康が、立派な武将になったことに危機感を覚え、大坂の陣で滅ぼされる。
ヒロコ やまいおとし 38 63 66 ユキメノコ 凞子 明智光秀の正室。光秀が流浪時代から寄り添い、極貧時代には自分の黒髪を売って光秀を支えた。山崎の戦いで光秀が敗れると、拠城坂本城に火を放って自害した。
フジタカ 超・氷 かたいまもり 70 85 80 ラプラス 細川幽斎(藤孝) 丹後国の戦国大名。はじめは室町幕府幕臣だったが、斜陽の幕府から織田信長に乗り換えた。本能寺の変のあと、親交のあった光秀から誘われるが、これを拒否し秀吉についた。
ボクゼン おまけじょうず 62 52 68 ゴース 氏家卜全 美濃三人衆の1人。織田信長の美濃攻め(1567年)に際し内応し、以降は信長の家臣となった。伊勢国長島攻め(1571年)で殿を務めるが、六角一族に討ちとられた。
ボクデン げきれい 95 30 50 タテトプス 塚原卜伝 鹿島新当流を開いた剣豪。39度の合戦、19度の真剣勝負に臨んで、一度も負傷することがなく、生涯に斬った剣士は212人に及ぶ。剣聖と謳われる最強の剣士。
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ま行
名前 タイプ ブショーパワー ペストリンク モデル武将 人物伝
マア 霊・炎 おまけじょうず 57 73 50 ヒトモシ 摩阿姫 前田利家の三女。柴田勝家の家臣・佐久間氏に嫁ぐが、賤ヶ岳の戦いで勝家が敗れ、夫も自害してしまう。その後は秀吉の側室に入り、加賀殿と呼ばれた。
マゴイチ 草・飛 ねらいうち
あいのハンター
89
95
79
88
74
84

ジュプトル
ジュカイン
鈴木孫一 紀州国の傭兵集団・雑賀衆の頭領が代々名乗った名前が、鈴木孫一である。数千丁単位の鉄砲で武装し、その高い軍事力で信長を何度も窮地に追いつめた。
マサカゲ 炎・地 しんこきゅう 88 66 70 ヒトカゲ 山県昌景 武田四名臣の1人。三方ヶ原の戦い(1572年)では、徳川家康の本陣に攻めよせた。逃亡する家康を追撃し、家康をあと一歩のところまで追いつめた。長篠の戦いで戦死した。
マサツナ げきれい 44 52 62 スピアー 岡部正綱 今川義元の家臣で、人質だった幼少の徳川家康と仲が良かったとされる。義元亡きあとは、その武勇を買われて武田信玄に招かれた。その後は、家康に仕えている。
マサトシ そっこう 70 48 58 ワンリキー 鎌田政年 薩摩国の戦国大名・島津氏の家臣。武勇に優れ、馬越城攻め(1557年)では、忠良(貴久の父、義弘の祖父)から「島津家は永久にその功を忘れぬ」と賞された。
マサトヨ かたいけっそく 70 76 70 サイホーン 内藤昌豊 武田四名臣の1人。川中島の戦いでは、上杉軍の背後を衝く別動隊の大将として軍功を挙げ、その後も数々の戦で活躍をした。長篠の戦いで撤退を進言するも却下され、壮絶な戦死を遂げる。
マサノブ 霊・炎 きぶんそうかい 95 53 ヒトモシ 本多正信 徳川家康の家臣。三河一向一揆(1563年)では家康と敵対し出奔するが、20年ほど流浪の末に帰参した。家康の元では文治派として活躍し、江戸幕府成立に尽力した。
マサノリ 地・悪 はくりょく
おとこのかくご
88
97
37
50
63
73

ワルビル
ワルビアル
福島正則 賤ヶ岳七本槍の1人。幼少のころから秀吉に仕え、数々の戦で武功を挙げる。関ヶ原の戦いでは、反石田三成の急先鋒として東軍につくが、秀吉への忠心は生涯忘れなかった。
マサヒデ おおごえ 26 79 67 フカマル 平手政秀 尾張国の戦国大名・織田信秀の重臣で、信長の傅役にして家老。うつけ者といわれた若年の信長の奇行を諌めたが改まらず、責任を感じて自害。信長は、菩提を弔うため政秀寺を建立している。
マサムネ そっこう
どくがんりゅう
86
96
82
92
80
90

ワシボン
ウォーグル
伊達政宗 出羽国・陸奥国の戦国大名。子供の頃に、天然痘を患い右目を失う。秀吉、家康に臣従したが、いずれ天下を取ろうとする野心家で、慶長遣欧使節も軍事同盟のためだったといわれる。
マサユキ 炎・地 はつらつ 74 93 74 メラルバ 真田昌幸 真田幸村の父。徳川家康がもっとも怖れた武将といわれる。大坂の陣を前に死去するが、家康は大坂の陣に昌幸が参陣しないことを知って、心底胸をなでおろしたという。
マドカ ゆうじょう 58 50 62 ダンゴロ 北条円 『信長の野望』シリーズで、北条円の名で登場する。北条氏康の娘に円妙院殿という女性が見られるが、彼女をモデルにしているのかは不明。
ミツタダ きぶんそうかい 65 40 58 タマザラシ 明智光忠 明智光秀の家臣。光秀の娘を嫁に迎え、光秀からの信任は厚かった。本能寺の変では、別動隊として二条城に織田信忠を攻めた。山崎の戦いで光秀が敗れ、自らも自害した。
ミツナリ 鋼・悪 とぎすます
するどいずのう
46
55
85
96
72
84

コマタナ
キリキザン
石田三成 豊臣秀吉の家臣で、五奉行の1人。秀吉の死後、武断派と対立を深め、関ヶ原の戦いを開戦させる。内政面で非常に優秀な力を発揮したが、軍事面ではいまいち戦果を残せなかった。
ミツヒデ 氷・飛 ねらいうち
すずしいひとみ
77
88
82
92
82
92

ラプラス
フリーザー
明智光秀 織田信長の家臣で、知勇兼備の猛将。信長に仕えてからは近畿平定に尽力した。本能寺の変で、信長に反旗を翻してこれを滅ぼすも、山崎の戦いで秀吉に敗れた。
ムネザネ めぢから 71 56 63 ムックル 白石宗実 陸奥国の戦国大名・伊達氏の家臣。相馬氏、蘆名氏らとの戦に武功を挙げた。秀吉政権下でも政宗に尽くして信任を得、家督なしで没したあとも政宗によって家は存続された。
ムネシゲ 飛・無 とぎすます
ふうじんのこえ
84
94
68
78
73
83

ムクバード
ムクホークシ
立花宗茂 立花誾千代の夫。関ヶ原の戦いでは敗北覚悟で秀吉への義理を通し、仇敵島津氏に対しても、敗軍の将を討つのは武士の恥と、見逃すどころか敗走を援けるなど、とにかく義理堅い。
ムネトキ 竜・飛 しんこきゅう 76 53 60 ワシボン 原田宗時 陸奥・出羽国の戦国大名・伊達氏の家臣。政宗の父・輝宗の代からの宿老で、知勇兼備の逸材だった。29歳の若さで逝去したときには、政宗は深い悲しみに暮れたという。
ムネノリ 虫・鋼 はくりょく 90 80 66 ストライク 柳生宗矩 徳川将軍家の剣術指南役として、新陰流を隆盛に導いた剣豪。「剣術無双」と呼ばれるほどの達人で、大坂の陣では徳川秀忠に従軍し、秀忠に迫る豊臣方の武者7人を瞬殺したという。
ムラシゲ 草・竜 ぜんそくりょく 70 42 73 キモリ 荒木村重 織田信長の家臣。信長の信任厚かったが、三木合戦(1578年)の最中に突如として反旗を翻した。村重の謀叛を信じられなかった信長は、何度も翻意を促している。
モトザネ ぜんそくりょく 50 58 63 バチュル 安部元真 駿河国の戦国大名・今川氏の家臣。武田信玄の駿河侵攻において敗退し、しばらく流浪していた。その後、徳川家康に仕えて遠江国の伯耆塚城を任された。名字は「あんべ」と読む。
モトチカ げきれい
はんこつしん
82
90
81
92
81
91

フタチマル
ダイケンキ
長宗我部元親 土佐国の戦国大名。豊臣秀吉が四国を平定するまでは、四国地方を治める大大名だった。織田信長の評価は低かったが、「鬼若子」と呼ばれるほど武勇に長けていた。
モトナリ かたいけっそく
さくりゃくか
69
79
90
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ジャノビー
ジャローダ
毛利元就 安芸国の戦国大名。稀代の謀将と呼ばれるほどに頭が切れ、離間策や諜報戦にその才をいかんなく発揮した。家臣や領民への配慮も怠らず、人望も厚かった名将。
モトハル 竜・草 こんしん 92 71 80 キバゴ 吉川元春 毛利元就の次男で、知勇兼備の名将。76度の合戦に臨み、64度の勝利を収め、敗北は一度もなかったと伝えられている。豊臣秀吉による支配を最後まで拒んだといわれている。
モリキヨ そっこう 68 47 61 グレッグル 出浦盛清 真田昌幸・信之父子に仕えた忍者集団の頭領。もとは武田氏の家臣で、忍者の技術は超一流と謳われた。真田氏のもとで吾妻忍衆を統率し、真田氏の戦に従軍しては大活躍した。
モリチカ めぢから 77 35 83 ミジュマル 長宗我部盛親 元親の四男で、長男信親の戦死後、元親のゴリ押しで家督を継いだ。豊臣秀吉の小田原征伐、朝鮮出兵に従軍し、関ヶ原の戦いでは西軍に与した。大阪の陣で大阪方について敗死した。
モリナリ そっこう 46 70 66 ヨマワル 安藤守就 西美濃三人衆の1人。織田信長が美濃へ侵攻してきた際に、主君・斎藤龍興を裏切って信長に内応する。その後は、信長の家臣として各地を転戦したが、武田氏との内通を疑われて追放された。
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や行
名前 タイプ ブショーパワー ペストリンク モデル武将 人物伝
ヤザエモン 毒・悪 めぢから 80 77 57 アーボ 城戸弥左衛門 伊賀の忍者。鉄砲の名手といわれ、忍者たちが怖れたというほどの腕前。通商「音羽の城戸」。五遁で身を隠す陰形術にも優れており、これで中忍だというから末恐ろしい。
ヤストモ こんしん 71 58 59 バチュル 朝比奈泰朝 駿河国の戦国大名・今川氏の家臣。桶狭間の戦い以降、凋落を続けた今川氏から多くの家臣が離反するなか、最後まで氏真を支えた忠臣。氏真が家康に降った後は、消息不明。
ヤスナガ ねらいうち 80 62 66 フシデ 服部保長 初代服部半蔵のこと。伊賀の忍者で、室町幕府に仕えていたが、斜陽の幕府を見切って三河国の戦国大名・松平氏に鞍替えした。家康に仕えた半蔵は、保長の四男。
ヤスマサ 竜・鋼 とぎすます 83 51 70 ミニリュウ 榊原康政 徳川四天王の1人。三河一向一揆で武功を挙げた、古参の家臣。家康の主たる戦にはほぼ顔を出し、いずれの戦いでも武功を挙げた猛将。秀吉を批判して、10万石の賞金首になったこともある。
ヤタロウ 草・超 はくりょく 92 55 キモリ 小島弥太郎 越後国の戦国大名・上杉氏の家臣。謙信が幼少の頃から側近として仕え、「鬼小島」と呼ばれた猛将。ただし、上杉家の資料に彼の名は見られず、実在したかどうか不明。
ユキタカ 炎・地 はくりょく 58 94 70 メグロコ 真田幸隆 真田昌幸の父で、甲斐国の戦国大名・武田氏に仕え、真田家の礎を築いた。軍略や功績を認められ、信玄からの信任は厚く「攻め弾正」の異名を持つ。有名な六文銭の旗印は幸隆が採用した。
ユキナガ 無・炎 しんこきゅう 31 72 70 タブンネ 小西行長 豊臣秀吉の家臣。朝鮮出兵では、加藤清正と先陣を争い、1日差で行長が勝ったとされる。熱心なキリシタンでもあり、キリスト教の保護に尽力した。関ヶ原の戦いで西軍に与して斬首された。
ユキムラ 炎・飛 こんしん
もののふのいじ
87
95
78
84
80
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リザード
リザードン
真田信繁(幸村) 関ヶ原の戦いで、石田三成に呼応するも敗北。大坂の陣でも大阪方につき、真田丸を築いて徳川軍の攻撃をくいとめた。最後は家康本陣に決死の突撃を敢行し、家康は肝を冷やしたという。
ユキマサ かいてきおんど 52 55 55 タマザラシ 藤田行政 明智光秀の家臣で、明智五宿老の1人と伝えられる。本能寺の変に際し、光秀から計画を打ち明けられた重臣。山崎の戦いでは右翼隊を任され、勝龍寺陥落の際に自害した。
ヨシ やまいおとし 38 76 50 ズバット 義姫 伊達政宗の母。政宗を毒殺しようとしたという話が残っているが、政宗とは頻繁に書簡をやりとりしており、その内容も明らかにプライベートである。仲が悪かったかどうか、真偽は不明。
ヨシアキ 草・竜 よくばり 14 86 80 マスキッパ 足利義昭 室町幕府第15代将軍。織田信長に擁立されて将軍となったが、じきに信長と対立。石山本願寺らと手を組んで反信長包囲網を築いた。豊臣政権下では、将軍職を辞して大名となった。
ヨシキヨ 氷・超 げきれい 81 65 73 クマシュン 村上義清 北信濃の戦国大名。上田原の戦い(1548年)では、武田信玄の猛攻にあいながら、武田方の有能な武将を何人も討ちとり勝利を収めた。戦国時代には珍しい、長槍の名手でもあった。
ヨシツグ 超・炎 ゆうじょう 72 86 64 サーナイト 大谷吉継 豊臣秀吉の家臣。石田三成、徳川家康と昵懇の間柄だったが、関ヶ原の戦いでは三成の熱意に負けて敗戦を覚悟して西軍に。小早川秀秋の寝返りを予測していたが、多勢に無勢で敗死した。
ヨシタカ 水・竜 げきれい 74 55 61 ヒヤップ 九鬼嘉隆 九鬼水軍で有名な、海戦を得意とした織田信長の家臣。豊臣政権下でも水軍の将として重用され、「海賊大名」の異名をとる。関ヶ原の戦いで西軍に与し、敗北後に自害した。
ヨシタツ 毒・霊 よくばり 87 75 63 ゴース 斎藤義龍 斎藤道三の子で、斎藤家2代当主。道三が廃嫡を考え出したとし、長良川の戦い(1566年)で父である道三を討ちとった。版図拡大を目論むも、信長の美濃侵攻により失敗している。
ヨシテル はつらつ 92 45 92 メタグロス 足利義輝 室町幕府第13代将軍。塚原卜伝に剣を学んだ剣豪として知られる。幕府の再興を目指して政治的手腕を発揮するも、松永久秀と三好三人衆によって殺害されてしまう。
ヨシヒロ こんしん
チェスト
90
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63
73
62
72

ドテッコツ
ローブシン
島津義弘 薩摩国の戦国大名。兄・義久、弟・家久らとともに島津家を隆盛に導いた。関ヶ原の戦いでは西軍に与し、敗北後は敵中突破で東軍を震え上がらせた。秀吉、家康からも怖れられた猛将だった。
ヨシモト 虫・鋼 しんこきゅう
ゆうがのきわみ
64
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クヌギダマ
フォレスト
今川義元 駿河国の戦国大名。織田氏、松平氏を支配下に置き、武田氏、北条氏とは三国同盟を結ぶなど外交手腕に長け、内政面でも力を発揮した。桶狭間の戦いで、織田信長の奇襲を受けて敗死。
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ら行
名前 タイプ ブショーパワー ペストリンク モデル武将 人物伝
ランマル 闘・鋼 ゆうじょう
いちずなおもい
69
79
72
82
66
76

リオル
ルカリオ
森蘭丸(成利) 織田信長の家臣。18歳の若さで本能寺の変で横死したため、詳細は不明。諸事奉行、加判奉行等を務め、前途を期待されていたようだ。蘭丸のイメージは、すべて後世の創作による。
リキュウ 草・炎 やまいおとし 68 66 75 ヤナップ 千利休 織田信長、豊臣秀吉に仕えた茶人にして武将。とくに秀吉に重用され、「内々のことは利休に」といわれたほど信頼された。しかし、1591年に突然として秀吉から切腹を言い渡された。